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東京高等裁判所 昭和43年(行コ)27号 判決 1972年9月14日

控訴人 板橋順

被控訴人 玉川税務署長

訴訟代理人 松沢智 ほか三名

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。被控訴人が控訴入の昭和三七年分所得税につき昭和三八年一〇月三一日付でした更正処分を取消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決を求め、被控訴代理人は、主文同旨の判決を求めた。当事者双方の主張および証拠の関係は、左に付加訂正するもののほかは、原判決事実摘示と同一であるから、これを援用する。

一、被控訴代理人は、控訴人の雇傭主は株式会社文化放送である。仮に控訴人と日本フイルハーモニー交響楽団(以下日フイルという)との関係が日フイルを維持経営する株式会社文化放送との雇傭契約でないとしても結論は変らない。すなわち給与所得は必ずしも雇傭契約を原因として生ずるものではなく、控訴人主張の如き一種の無名契約ともいうべき楽団参加契約に基くものであつても、労務の提供が従属性をもつ限り、その契約は給与所得の発生原因となりうるものであつて、例えば会社の取締役の報酬が委任契約による対価であつても、会社の機関として企業に従属する労務を提供した結果得られたものである以上給与所得であると述べた。

二、控訴代理人は、控訴人と株式会社文化放送との間に雇傭契約があることは否認する。控訴人は日フイルとの間に楽団参加契約を締結したものであつて、右契約は交響楽団の維持、継続、発展を目的としてなされた請負、雇傭、委任などの各要素が混合した一種の無名契約であり、控訴人の右楽団参加契約に基く本件所得は雇傭関係に基く給与とみるべきものでなく、職業野球選手の試合出場による収入、芸能人の出演による収入所得と同様、事業所得とみるべきものであると主張した。

三、<証拠省略>

理由

当裁判所は、当審における弁論および証拠調の結果を斟酌し、さらに審究した結果、結局原審判決と同一の結論に達した。その理由は左記に付加訂正するほかは、原判決理由説示と同一であるから、これを引用する。

一、控訴人は日本フイルハーモニー交響楽団(日フイル、右楽団を維持経営するのは株式会社文化放送であつて、この点は、控訴人も明かに争つていないところであるから、正確には契約の相手方たる当事者は同会社ということになる。)と控訴人間の契約は雇傭契約ではなく、楽団参加契約ともいうべき一種の無名契約であり、控訴人が日フイルから取得する収入は右契約に基くものである旨主張する。

しかしこの点の当裁判所の判断は前記引用に係る原判決説示

(原判決二三枚目表三行目から同二六枚目表三行目まで)のとおりであつて、控訴人がバイオリニストとして高度の技術を有し、かつ、日フイルからうける報酬が、控訴人主張の如く、雇傭、請負、委任などの要素の混合した楽団参加契約ともいうべき一種の無名契約に基くものであるとしても、それは控訴人が楽団に所属し、そのスケジユールに従つてその指揮拘束を受ける従属的立場において提供する役務の報酬として支払われたものであり、控訴人が右楽団を主宰するものでないことはもちろん、そのスケジユールの企画、策定、実行にも直接参画するものでないことは弁論の全趣旨から明らかであるから、右楽団の一員として控訴人が活動することは自己の危険と計算による企業性を有するものといいえないことはもちろんであつて、ひつきよう控訴人が日フイルから取得する収入について被控訴人においてこれを給与所得と目して課税したことには、なんら違法の点はない。

もつとも<証拠省略>に弁論の全趣旨をあわせれば楽団備付の楽器の中にはバイオリンはなく、楽団としてはバイオリンは自己所有のものを使用させることを義務づけているわけではないが、慣習として、各自がもつてくることになつていると、技倆量が同じならば、よい楽器をもつているものを採用することになつているというのであるが、だからといつて、楽団としては、バイオリニストのみを、他の楽団員と区別して取扱つているものとも考えられないし、バイオリンは小型軽量であり、いわゆる各作といわれるものを使用し、使い慣れる程よい音色が期待されるから(もちろん技倆がこれに伴うことは必要ではあるが)右の如き慣行も納得できないわけではなく、また、右<証拠省略>によると楽団員で労働組合に加入しているものはいないというのであるが、これも芸術家としての自尊心がそうさせたものと推測されるのであつて、右の如き事実があるからといつて、前記判断を左右しうるものとは考えられない。たしかに控訴人のバイオリニストとしての収入は自己の所有に属する楽器を駆使して自己の芸術的技倆によりもたらされるものであるとの実質のみに着目すれば、日フイル団員として受ける報酬と日本グラモフオン等から受ける報酬とは同質のものと見えないことはないけれども、前者と後者とではその所得を生み出す形態を異にするものであることは右に引用した原判決の説示するとおりであり、その間その区別に従つて一を給与所得とし、他をしからざるものとすることはなんら不合理ではない。

二、原判決二七枚目裏一行目「顕著な事実であつて」とあるのを「<証拠省略>に徴し明らかであつて」と訂正する。

三、また印紙税法についての通達中には課税物件としての請負に関する契約書について控訴入が音楽家として職業野球選手や俳優などと同様に役務の提供を約する契約をするものの如く取扱われていることがうかがわれるけれども、これらのものと控訴人との間の収入の源泉に類型的差異の存することは原判決説示(二七枚目表二行目から同裏一一行目まで)のとおりであり、控訴人が音楽家であることは明らかであるが、音楽家であつてもそれの取得する収入のすべてが、右通達にいう請負的なものに基くものとすることのできないことは、前記旧所得税法の解釈からも当然理解せられる事理であつて、右通達のいうところは要するに音楽家が請負契約ないしこれに類する契約をするについての文書に関するのみであり、換言すれば強立して自己の計算と危険において稼働する音楽家がそのような事業活動をするについての契約書を意味するのみであると解すべきであるから、前記通達中の文言をとらえて控訴人の日フイルからの収入が事業所得であることの証とするのは当らない。

四、およそ所得税法が給与所得について定額の控除制を採用したのは、当該所得をうるための必要経費と消費支出的経費との区別が判然とせず多数の職種の存する給与所得者らについて、その実態の把握は技術的にも困難であるから、必要経費の概算的意味においてやむをえず採られているものと思考されるが、右定額以上にいわゆる職業費を要する職種であつて、それが消費的支出と判然と区別できるものについては、資料を提出させ、申告に基いてその控除を認めることは徴税技術の上からみて、さして困難であるとも思われず、現にそのような制度を採用している国も存することは、一般に知られているところである。したがつて高度の学識や技術を要し、日夜これが研鑚に努めなければその給与所得の維持、増額が期待できないために、右定額以上の経費を要する職種にあつては、その必要経費の負担を問題にする必要がないほどに給与自体が高められない限り、税法の問題としては右の如き制度を採用するか、または、控除額を増額するかのいずれかの方法を講ずることが、税負担公平の見地からみて、望ましいことであるとは、いいうるであろう(法人税法の適用においては、いわゆる交際費として経費と認められているものについてこれが往々会社役員又はその他の社員によつて個人的消費支出と区別し難い形において支出されており、世論の批判を受けていることは顕著な事実である)。その意味において、自ら定額以上の職業費的経費を負担しつつ交響楽団の構成員としてそこから給与を受ける音楽家について右のような方策が講ぜられないことはこの種の楽団員に対する税制上の保護対策が職業野球選手や俳優等に比して劣つていると評されても必らずしも過言とまではいうことはできないであろう。

しかし、この点についても原判示の如く事は結局立法政策上の問題に帰着するのであつて、旧所得税法(現行法においても右の点についてはかわるところはない)の解釈としては、やむをえないところというべきであるから、本件処分を違法と断ずることはできない。

五、以上説示のとおり被控訴人の本件処分には、違法の点はなく、控訴人の本訴請求を棄却した原判決は正当であつて本件控訴は理由がない。

よつて民訴法九五条、八九条を各適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 浅沼武 加藤宏 園部逸夫)

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